2023年08月21日
◆日本における市場経済取引の誕生
一方、日本の資本主義の誕生をみてみましょう。江戸時代の初期(つまり海禁政策が完成するまで)、二代将軍徳川秀忠から家光の時代(在職
1605~1651)においては、幕府発行の朱印状を介在させた朱印船貿易が盛んに行われていました。ただ、東シナ海での海賊の横行や航海技術の未熟さ、台風の影響などにより、朱印船の運航には大きなリスクが生じます。そのために複数の商人がそれぞれ資金を出資しあい、何艘もの船を出して稼いだ利益を分け合っていました。共同出資と出資責任といった概念が既に生まれていたのです。一種のリスクマネジメントシステムというわけです。
政治が比較的安定していた江戸時代は、社会的にも文化的にも近代国家を生み出すに相応しい土壌が生まれ、市場経済取引の仕組みが構築されていきました。
1739年、消費経済を謳歌した元禄時代の後、『都鄙問答』が実践派学者石田梅岩(1685~1744)によって著されます。商人道の基本ともいうべき“先が立ち、我も立つ”という共生の思想こそ商売(企業経営)の根源であると説いて回ったのです。
“金融は世の中の人を助ける役人である”とか“実行に移さねば賢人といえず”といった庶民の問いかけに対する回答を示しています。その後、「三方よし」の精神を持つ近江商人を生み、近代国家の礎を築いた渋沢栄一や新渡戸稲造、その後の本田宗一郎、松下幸之助、近年の小倉昌男、稲盛和夫などにつながっていると言っても過言ではありません。
不思議なことに、ヨーロッパで有限責任制度の賛否に関する大論争が行われていた250年間は、日本では独自の市場経済システムを整えて近代国家を作り上げてきた江戸時代の250年でした。
大航海時代の1600年前半は、日本でも朱印船貿易を行っており、マックス・ウェーバーやアダム・スミスより少し前に石田梅岩が心学を伝承しています。イギリスで株式会社法が制定された1844年~56年は、日本では世界中から開国を要求され、53年にはペリーが来航し、海禁(江戸時代の人は鎖国という言葉を知りません)政策が崩壊しました(1854年に日米和親条約、1955年日露和親条約締結)。
カール・マルクス(1818~1883)が『資本論』の第一巻を著した1867年には、日本では京都二条城で大政奉還(江戸時代の最後の年)が行われるなど、日本とヨーロッパの時代の流れの共通性に驚かざるを得ません。
日本とヨーロッパはそれぞれ別々のスタイルで新しい近代市場経済を生み、株式会社制度という法人を作り出してきました。どちらもその発生原因から会社のあり方、あるべき姿、あるいは、その後の経過に至るまで、非常に似通っていることに気付きます。