2023年08月21日
◆「見えざる手」の背景
資本主義精神の源泉にはマックス・ウェーバーの「プロテスタンティズムの倫理」というものがあります。マックス・ウェーバーはベンジャミン・フランクリン(1706~17909)の『十三得』という人生訓を読み、この書を書き上げました。資本の論理と対極の関係であると思われていた禁欲の倫理が資本主義形式のエネルギーになるというものです。
ベンジャミン・フランクリンは、アメリカ合衆国建国の父の一人として知られており、100ドル紙幣にも描かれているアメリカの英雄です。政治家になる前は、避雷針や遠近両用メガネを発明した物理学者でもあり、フィラデルフィアアカデミー(現
ペンシルベニア大学)の創業者でもあります。
『十三得』では節約、勤勉、誠実などが背景にあってこそ正しい経済活動が行われ、豊かな社会を作ると考えて行動していました。
経済学の父と言われるアダム・スミス(1723~1790)は、1776年に出版した『国富論』の17年も前に『道徳感情論』(1759年)を書いています。
道徳感情論では、富を目指して競争するのは構わないが、その前提にはフェアプレーの精神が存在していなければならないと強調しています。フェアな競争を行うことで労働者に雇用という恩恵を提供できるというわけです。
社会全体を最適調和に導く“見えざる神の手”とは、人間の欲求と倫理が見事なバランスをとって存在しているから生じるものであると言っているのです。市場は一定の条件があってこそうまく機能するため、強欲こそが最大の悪だというわけです。
要するに、世界では人口が爆発的に増加し、活き活きとした社会を作り上げていくためにはどうあるべきかが問われていました。そのためには、倫理観と社会性をもって、隣人が求めるものを隣人の求める価格で供給していく有限責任的な組織が必要です。
その組織が、隣人の求める価格よりも安く作り上げる仕組みを生み出せれば、その差は適正利潤であるということなのです。したがって、この適正利潤の獲得は貧欲の罪ではなく、社会にとっては必要な行為であると論破したのです。こうした組織が市場に提供した商品やサービスがその組織に付加価値を生み出すことそのものが隣人愛の実践になるというわけです。