2023年08月18日
ドイツの社会学者マックス・ウェーバー(1864~1920)は、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の末尾で、「モノの意味を考えることをやめた人間の末路として、精神のない専門家、心情のない享楽人などといううぬぼれた末人たちが表れてくる」とまとめています。『社会科学の方法』で経済史学者の大塚久雄(1907~1996)を知り、マックス・ウェーバーの『資本主義の精神』の訳本(岩波文庫)を読んで、最も記憶に残っている言葉でもあります。
人と社会は利害だけでなく理念によって動き、理念によって利害は制限を受けるというのがマックス・ウェーバーの結論でもあります。特に、歴史の曲がり角では理念が決定的な作用をすることを理解しておかなければなりません。
ピーター・ドラッカー(1909~2005)は、『マネジメント』の中で会社について次のようにわかりやすくまとめています。
「組織とは個々としての人間一人一人、及び、
社会的存在としての人間一人一人に貢献を行わせ、
自己実現させるための手段」
つまり、企業活動の目的は、①自社特有の社会的使命を果たすこと、②組織における人材の自己実現を助け成長させること、の2つしかないと言っているのです。
人は組織の使命を果たすために自らの役割を与えられ、仕事を通じて成長するというわけです。単にスキルや知識を身に付けるだけでなく、人として成長し、人格を形成していきます。人の成長の機会を与えることに真剣に取り組んでいる経営者の下には、おそらく人財といってよいスタッフが集まってくるはずです。
「モノの意味を考えることをやめた人間の末路」とは、同時に、「資本主義の末路」でもあります。最近でも、中古車販売ビッグモーターのような、お客様から修理を頼まれた車をさらに壊して保険金を水増し請求するといった企業が社会に存在していたことが判明しました。経営的に言えば、「異常なノルマ主義、成果至上主義、隠ぺい体質といった企業風土が、信用を失墜させた」といったような視点から語られてしまいます。
とんでもない話で、この会社は組織体を成していません。簡単に言えば、本来なら資本主義社会では存在してはならないはずの詐欺(まがい)集団と言うべきなのでしょう。
資本主義の末期に、「精神のない専門家、心情のない享楽人などといううぬぼれた末人たち」が現実に表れているのです。