2025年09月
2025年09月24日
7月4日(金)が社会人力養成講座の最終日である。今年は6月12日~13日の2日間で前半の6講座があり、最終日の午前から第7講座「哲学カフェ」が始まる。
哲学カフェとは、20年程前から欧州で始まり、あるテーマに対して参加者が自由に自分の意見を発言するとともに、他者の意見もしっかり聴くことで、世の中には様々な考え方があることを知ることができるものだ。
カフェというように、会議やディベートなどのように堅苦しいものではなく、参加者がそれぞれ解放された豊かな気分の中で、テーマに対する自分の考え方を伝えていくわけだ。
この社会人力養成講座は、別名「考動力養成講座」でもある。考える力を付けるために必要な要素である「傾聴力」や「伝達力」、あるいは「観察力」や「共創力」などを2日間の6講座で会得していることをベースに、最終日の午前中に自分の考えを発言してもらうという流れでカリキュラムを組んでいる。
今回の哲学カフェの1つのテーマは、「個人主義」である。個人主義という言葉について、参加者はどのような考えを持っているのか、なぜそのように考えるのかについて、各自が自分の考え方を発言していく。予想通りに否定的な意味合いを持っている人が多かった。
「個人主義」という言葉は、夏目漱石によるもので、1900年の欧州滞在時に出会ったジェントルマンの姿勢こそ、これからの日本人には必要だと考え、漱石はその考えを「個人主義」という言葉に託したのだ。
簡単に言うと、自分の意見をしっかり発言する、個人の意見をしっかり受け止める、そこに違いがあればなぜそうなるのかを互いが考える、というスタイルを日本社会に取り込みたかったのだろう。
実は、この講座のベースになっている「考動力」とは、まず、キチンと考える癖を身に付けることである。考えてみれば、漱石のいう「個人主義」のベースを構築していると言っても過言ではないだろう。
40代前半の頃に読んだ英文学者でエッセイストの大学教授だった外山 滋比古先生の学術エッセー『思考の整理学』は、今も読み継がれている大ロングセラーである。5年前の2020年7月に96歳で逝去されたが、いまだに続編などが出版されている。
「わかる本を読んでも何にもならない。重要なのはわからないことを知ること。昔は子供に論語や四書五経を教えた。わかるわけがない。ところが、10年、20年経って、あぁ、このことだ、とわかる感覚は、未知が既知になる一種の発見である。知識とは違う、自分の中から出てきたものだから一生役に立つ」、これからは「自分で新しいものをつくりだす思考力が必要になる」などという文章は、思考力がこれからの日本人には最も必要になるということだ。
そこで、なぜ個人主義という言葉が否定的な意味合いを持つ日本人が多くなったのかという問いについて発言してもらうこととした。参加者の皆さんの考え方が深堀りされていき、どんどん実態に近づいていくのが聞いていて楽しくなってきた。
午後から始まったプレゼンテーション大会よりも、「哲学カフェ」の方が社会人力養成講座の趣旨に合っていた気がする。次回は少しカリキュラムを変更した方がよいかもしれない。
週明けは、日曜日の都議選の話題で持ち切りだった。どの新聞もTVも、「自民大敗、都民ファーストが第一党」を伝えていた。別の角度から見ると、女性議員の大量当選も注目され、定員127名のうち48人が当選し、全体の37.8%を占め、過去最多とのことだ。50%当選していたならともかく40%弱でこれだけ騒がれるのだから、やはり日本は女性後進国である。
そんな中、26日(木)にはオリンピック委員会(JOC)の会長に橋本聖子氏、日本陸連の会長に有森裕子氏が選出された。いずれも女性初である。こうした動きを見ると、これから10年くらいでようやく日本も変化していくのかもしれない。
ちなみに、有森さんとはかつて、世界最長のつり橋(現在は世界2位)である明石海峡大橋完成記念・震災復興支援チャリティーレース(10キロマラソン)に参加した際に一緒に走ったことがある。27年前の1998年3月、48歳の時のことで、有森さんは速すぎてまったくついていけなかった記憶が残っている。
23日(月)は、沖縄戦の犠牲者を悼む戦後80年目の慰霊の日である。小学6年生が「平和の詩」を朗読していた。見事なものである。
プロ野球セ・パ交流戦は、ホークスが12勝5敗1分で9回目の優勝。今年で20回目の開催で、そのうちの9回なので、ほぼ2年に1回は優勝していることになる。パ・リーグとセ・リーグでも、パ・リーグの15勝5敗。特に今年は1位から6位までがパ・リーグで、セ・リーグは7位の広島がトップで9勝9敗。つまり、セ・リーグは勝ち越したチームがいなかったということだ。これなら一部と二部にして、入れ替え戦をした方がわかりやすいだろう。要は、パ・リーグの投手をセ・リーグの打者が打てないということ。おそらくDH制の影響だろう
今週は、25日(水)以外は全て出かけていた。松山から戻ってすぐに月曜(23日)、火曜(24日)は信州への出張。26日(木)と27日(金)は南青山や新宿、相模原などの顧客先企業への直行直帰である。
23日(月)は定時株主総会に参加。今期が第52期で、過去最高の売上高となった。20人ほどの株主らとそのまま懇親会会場に移り、雑談会となる。
26日(木)の午後は定期的な研修会である。最近は実例をベースにしたコンサルティングの手法を提案しているが、今回はその当事者の経営者も参加されたので、より具体的な提案をすることとなった。
27日(金)に、生活保護費の大幅引き下げをめぐる裁判で、最高裁は国の決定を違憲と判断し、取り消す判決を言い渡した。
問題となったのは、安倍政権が2013~2015年の3年間に生活保護基準額を引き下げ、何の証拠や根拠もなくデフレなどを理由に、食費などの「生活扶助」の基準額を平均6.5%引き下げたことだ。この措置は200万人を超える日本人に影響を与え、まさに憲法第25条に定められた生存権の問題だったのだ。やっと普通に戻ったわけである。
16日(月)は、京王プラザホテルで顧客先企業の上半期業績発表会 兼 社員総会。17日(火)は、月例ランチミーティングに出席した他は、顧客から依頼された荻窪の収益性不動産物件を購入すべきか否かの判定基準のレポートや顧客の株主総会用の決算分析レポート、顧客先企業のコンサルティングレポートなどの執筆に追われてしまった。18日(水)から愛媛県松山市へ2泊3日の出張があるからである。
久しぶりの松山だ。今回の訪問は数えてみると8回目。いずれも愛媛県の不動産コンサルティング協議会の専門教育講師及び、NPO法人愛媛県不動産コンサルティング協会の特別講演依頼によるものである。今回は、長くお付き合いのあるNPO法人の竹内理事長や十亀副理事長らからの依頼で、2回目の登壇となる。前回の訪問は24年前で、俳句で大恥をかいた記憶をいつも思い出す。逆に、これで俳句に関心を持つことになったのも事実である。
松山はいくつも思い出がある場所だ、JR松山駅はその一つである。そのため、18日は松山空港からJR松山駅に向かったが、なんと、大工事の真っ最中だった。従来の松山駅は解体されている途中で、既に高架になっている新しい松山駅が完成していた。松山駅の構内にあった懐かしい“じゃこ天うどん”の店は閉鎖されてしまっていた。
夕方から松山市二番街の料亭で、愛媛県の不動産関係の理事長や会長など幹部が20人ほど出席された懇親会に参加する。ここでは懐かしい顔との出会いが多かった。
19日(木)は本番である。愛媛県民文化会館で「人口減少時代の経営学と不動産学」のタイトルでの講演だ。国土交通省からも2人参加されていたが、約100人近い不動産関係のプロフェッショナルに対して2時間休みなしで、地方における不動産会社のあり方と不動産をベースにしたコンサルティングビジネスの構築にポイントを絞って話す。
その後は、夕方に道後温泉本館で入浴。松山に行くたびに入浴していたが、前回は、継承、保存する目的でクラウドファンディングを活用した大規模な改修工事が行われていた。その工事も昨年(2024年)12月に、約6年にわたる工程を終えたらしい。
20日(金)は飛行機までの時間があったので、宿泊ホテルの近くにある「坂の上の雲ミュージアム」に行く。確かここは3度目の訪問だ。司馬遼太郎が産経新聞夕刊で4年半(1968年4月~1972年8月)にわたって連載していた「春や昔」 ―― で始まる「坂の上の雲」が舞台のミュージアムだ。著名建築家・安藤忠雄氏による設計だけあって、館内は回遊性のある重層的な造りで、見学が楽しく、わかりやすい構造になっている。
小説を読んだのは40代の頃で、ノンフィクションともいえる小説だけに、明治時代が最も理解しやすかったため、講演の資料でもよく活用させていただいてきた。
また、俳人 正岡子規と陸軍・海軍に配属された秋山好古、真之兄弟の3人を主人公に近代国家を目指す明治の日本が描かれている。
物語の舞台は、1895年~96年の日清戦争から1904年~05年の日露戦争にかけての近代国家の形成期である。現代の時代の変わり目の1995年の100年前、社会変革の真っただ中にあった時代である。この物語は、その変革の日本社会に生きる日本人の姿を描いている。小説と謳っているが、ほとんどがノンフィクションと言ってもよいのではないだろうか。
館内の図書館に俳句の投稿箱があったので、即興で投稿しておいた。
「風薫る 野球と俳句 生んだ町」
2025年09月17日
今週のメイン業務は、12日(木)と13日(金)に開催した『社会人力養成講座』である。今から20年ほど前の2005年頃に、顧客先企業の経営者から「最近はモノゴトをしっかり考える人材が本当に減ったのではないか」と問われたことが発端で始めた講座と言ってもよいだろう。
そこで、いくつかの金融機関やコンサルティング会社などの研修担当責任者に、「考える講座」というものを実施しているか問い合わせてみた。すると、「考える」とは本来自分で生み出すものだから、そもそも「考える」研修とは、どのように教えればよいのか
―― と、逆質問を受けてしまった。
30代半ばにこれからは考動の時代だと考え、「考動」という当て字を生み出して講演などでも使っていただけに、それなら「考える講座」を自ら実施しようという流れになったのだ。開講までは2~3年かかったが、当初は手探りであったことは間違いない。コロナ禍の3年間は、企画はしたが無理に実施することはないとして中止したこともあって、今年は第13回目になる。
今回の受講者は6社から14名。受講者の受け入れ限度は12名~18名程度がベストなので、まずまずである。講師が一方的に話すという知識教育ではなく、受講者がその場で考えながら話すことが求められているため、適正な受講人数は少人数にならざるを得ない。今年は半数以上が東京以外からの参加で、沖縄、長野、京都、福島からも参加していただいた。
初日の第1講座は塩見の担当である。テーマは毎回、「考えるためのストレッチ」だ。普段考えていない人に対して、考えるためのストレッチングで頭の中を少し柔軟にしておいてもらいたいためである。
まずは2分間で自己紹介。“個人”の自己紹介という前提を与えているにもかかわらず、受講生の大半は勤務先の自社紹介になっていた。しっかり考えていない証拠である。
この自己紹介は、次の「他者紹介」につながっていく。全員の紹介が終わった後、今度は他者を2分で紹介してもらうのである。つまり、自己紹介の時に自分をいかにわかりやすく(たとえば、特徴的な言葉やその人ならではの話など)第三者に伝える話し方ができていたか。それと同時に、他者の自己紹介をいかにポイントを絞って聴いていたか。その結果が、他者紹介の場で判明する。
ほとんどの受講生は、自己紹介は2分を超えるが、他者紹介は1分も話すのが難しい。まぁ、こんなものである。いかに「自分自身とは何者か」を考えていないこと、そして「人の話を真剣に聞いていない」ことが証明され、自分で愕然とするのである。
最近は、講座の最初の1時間で自己・他者紹介を行って、いかに伝達する、傾聴することの難しさを知ってもらうとともに、常に「何のため」を意識しなくてはならないことを理解してもらうことを主眼としている。
残りの1時間は、毎回違うテーマを出して、考えることの「面白さと難しさ」を知ってもらいながら雑談を行っている。
今回の講座は、初日に「傾聴力」と「自分整理力」を学び、夜は場所を変えて受講者全員参加で懇親会を行った。2日目は「共創力」「観察力」「伝達力」をテーマとしたカリキュラムを構成した。最終日の3日目は、時間を明けて7月4日の午前中に「哲学カフェ」、午後には全員で行うプレゼンテーション大会が実施される。
開催までは大井川社労士と小林君には相当の時間を費やしていただいたので感謝しかない。
6月は出張から始まった。新幹線の車中でいくつかの案件の処理しながら名古屋経由で高蔵寺に向かう。恒例の中小企業大学校瀬戸校での「経営者管理者養成講座」の講義のためである。
今回は第35期になるそうだが、塩見は29回目の登板である。時代の大変革が起こった。1995年の2年後(1997年)から講座を担当させていただいている。考えてみれば、40代半ばから毎年、瀬戸校へ通っていることに驚く。よく続いているものだ。
この講座は、6月から11月まで月に5回、合計30回の講座で構成されており、2日目からはゼミ形式で自社の中期計画をまとめ、11月に発表するというスタイルである。初日の塩見の講座だけは、時代の捉え方や中小・中堅企業のあり方、あるいは経営者論などといったマクロ的な視点を重視しながら、できるだけ具体的な話題を提供している。
3日(火)の朝のニュースで“ミスタープロ野球”こと長嶋茂雄さんが89歳で亡くなったことを知る。月と自称されていた故 野村克也さんが太陽と呼んでいた人である。実は20代の頃に血液型に凝っていたのだが、その時に両者の血液型が同じB型であることを知った。塩見がB型だけに、正反対の性格の2人が共にB型であることを最も納得していた気がする。それにしても89歳(野球)と3日(背番号)など、ミスターはやはり野球人だったのだなぁと感心する。
実は前日の2日に、スポーツライターの浜田昭八さんが91歳で逝去された。日経新聞のスポーツ欄は浜田さんのコラムだけを読んでいた気がする。組織や世間と関係なく、何が正しいのか、何のために必要なのかなど、あるべき姿からモノを説き起こし、見事な文章でまとめられていた。考え方も文筆も参考にしていた本物のライターであった。
3日の夜に名古屋から京都に入り、今年の「京都老舗体感ゼミナール®」の候補先企業2社を訪問する。6時からは漆の材料店、7時半からは、今年がちょうど百年目を迎える京都では珍しい西洋料理の老舗店である。社長らとの話が長引いてしまい、宿泊先のホテルへのチェックインは10時を過ぎてしまった。
4日(水)に訪問した京都の顧客先企業は、現在「会社物語」の制作中である。新しいビジネスモデルを構築されている最中だけに、自社の考え方をオープンにして社会に浸透させるには最高の時でもある。
この日厚労省が、2024年の出生数が68 万 6061 人で1899年の統計開始以降初めて70万人を割り込んだと公表した。合計特殊出生数も1.15と過去最低である。少位推計ではなく中位推計で基準値を立てているため、事実に追い付いていないのだ。ちなみに、東京の合計特殊出生数は0.96と1を割り込んで数年になる。
6日(金)の夕方に吉祥寺で、108年の歴史を誇る顧客先企業の経営者の「個展」を見学する。驚いたのは、単なる趣味を超えたレベルのデザインスケッチだったことである。
古希野球の関東大会に出場。一回戦で前年度全国王者の埼玉坂戸古希クラブと対戦。走攻守すべてに隙のないチームで、1-5で敗退する。初回先頭打者として初球を中前へライナーの安打を放つも、二番打者の一塁ライナーでダブルプレーになったのが痛かった。
敗れはしたが、3打数2安打1得点2盗塁と、個人的には全国レベルと戦える気がする。