2023年08月

2023年08月21日

◆未来志向の「世間よし」
 昨今言われる企業の社会的責任Corporate Social Responsibilityの考え方は、EU(欧州連合)による局地格差から始まり、日本では2001年あたりから浸透しだしてきました。この定義は「持続可能なビジネスの成功のためには社会的責任ある行動が必要であるという認識を企業が深め、事業活動やステークホルダーとの相互関係に社会・環境問題を自主的に取り込む企業姿勢である」(欧州委員会EUホワイトペーパー2002年版)とされており、Sustainability (持続可能な社会と経営)が一般語となってきたのです。
 国連は、“将来の世代の欲求を満たしつつ、現代の世代の欲求を満たす手法”とSustainabilityを定義しています。先に「将来の世代の欲求を満たす」が掲げられているところに未来志向の「世間よし」を見ることができます。
 本来有限責任組織としての企業は、ビジョンや信念があるからこそ存在できるのであり、倫理観・ルールの厳守があるからこそ存在できるのであり、適正な付加価値を生み出す力があるからこそ存在が許されるのです。このことは法人格としての有限責任組織の誕生原因を理解するとよくわかります。これは洋の東西を問いません。ヨーロッパと日本の会社の生い立ちからも明白なのです。
 日本ではドイツ人のレスラー(ヘルマン・ロエスレル)によって起草された旧商法が1890年に成立、その後1899年(この頃は日本の第一次産業革命)に現行の商法が公布され、50年後の1950年にGHQの影響による大改正が行われ、株主総会重視から取締役会重視型へ変貌しました。さらに55年後の2005年には会社法が制定され、2006年5月より施行されています。いずれも時代の流れに合わせて機動力が発揮しやすいように移り変わってきました。
 ところが、会社とは何かという株式会社の精神は全く変わっていません。倫理観と社会性と隣人愛、この3点を失ってしまっては、有限性責任たる会社組織はその存在が否定されるということなのです。継続こそが最大、唯一の目的である中小企業こそ、サスティナブルカンパニーとして生きていくためにはこの3点を絶対に見失しなってはいけないのです。

 
◆「何のため」ですか?
 ベンチャー経営者が新しいワクワクする市場を切り開いていく精神は、まさに、新しい時代に要求されている新しい付加価値を生み出していくということでしょう。ただ、モノゴトを継続させていくためには、未来と過去という時間のマクロと、地球と社会という空間のマクロを常に意識した行動が望まれます。
 これが倫理観、社会性につながって付加価値を生み出し、その結果が隣人愛となり、継続の仕組みが構築されるということなのです。
 あなたは何のために仕事をしているのですか?あなたは何のために会社を創ったのですか?
 1年365日のうち、360日は日々の仕事に夢中になってください。でも5日くらいは未来を考える時間を持ちましょう。



(13:41)

◆日本における市場経済取引の誕生
 一方、日本の資本主義の誕生をみてみましょう。江戸時代の初期(つまり海禁政策が完成するまで)、二代将軍徳川秀忠から家光の時代(在職 16051651)においては、幕府発行の朱印状を介在させた朱印船貿易が盛んに行われていました。ただ、東シナ海での海賊の横行や航海技術の未熟さ、台風の影響などにより、朱印船の運航には大きなリスクが生じます。そのために複数の商人がそれぞれ資金を出資しあい、何艘もの船を出して稼いだ利益を分け合っていました。共同出資と出資責任といった概念が既に生まれていたのです。一種のリスクマネジメントシステムというわけです。
 政治が比較的安定していた江戸時代は、社会的にも文化的にも近代国家を生み出すに相応しい土壌が生まれ、市場経済取引の仕組みが構築されていきました。
 1739年、消費経済を謳歌した元禄時代の後、『都鄙問答』が実践派学者石田梅岩(16851744)によって著されます。商人道の基本ともいうべき“先が立ち、我も立つ”という共生の思想こそ商売(企業経営)の根源であると説いて回ったのです。 “金融は世の中の人を助ける役人である”とか“実行に移さねば賢人といえず”といった庶民の問いかけに対する回答を示しています。その後、「三方よし」の精神を持つ近江商人を生み、近代国家の礎を築いた渋沢栄一や新渡戸稲造、その後の本田宗一郎、松下幸之助、近年の小倉昌男、稲盛和夫などにつながっていると言っても過言ではありません。

 
◆日本と欧州の不思議な同一性
 不思議なことに、ヨーロッパで有限責任制度の賛否に関する大論争が行われていた250年間は、日本では独自の市場経済システムを整えて近代国家を作り上げてきた江戸時代の250年でした。

 大航海時代の1600年前半は、日本でも朱印船貿易を行っており、マックス・ウェーバーやアダム・スミスより少し前に石田梅岩が心学を伝承しています。イギリスで株式会社法が制定された1844年~56年は、日本では世界中から開国を要求され、53年にはペリーが来航し、海禁(江戸時代の人は鎖国という言葉を知りません)政策が崩壊しました(1854年に日米和親条約、1955年日露和親条約締結)。
 カール・マルクス(18181883)が『資本論』の第一巻を著した1867年には、日本では京都二条城で大政奉還(江戸時代の最後の年)が行われるなど、日本とヨーロッパの時代の流れの共通性に驚かざるを得ません。
 日本とヨーロッパはそれぞれ別々のスタイルで新しい近代市場経済を生み、株式会社制度という法人を作り出してきました。どちらもその発生原因から会社のあり方、あるべき姿、あるいは、その後の経過に至るまで、非常に似通っていることに気付きます。



(13:40)

◆「見えざる手」の背景
 資本主義精神の源泉にはマックス・ウェーバーの「プロテスタンティズムの倫理」というものがあります。マックス・ウェーバーはベンジャミン・フランクリン(170617909)の『十三得』という人生訓を読み、この書を書き上げました。資本の論理と対極の関係であると思われていた禁欲の倫理が資本主義形式のエネルギーになるというものです。
 ベンジャミン・フランクリンは、アメリカ合衆国建国の父の一人として知られており、100ドル紙幣にも描かれているアメリカの英雄です。政治家になる前は、避雷針や遠近両用メガネを発明した物理学者でもあり、フィラデルフィアアカデミー(現 ペンシルベニア大学)の創業者でもあります。
 『十三得』では節約、勤勉、誠実などが背景にあってこそ正しい経済活動が行われ、豊かな社会を作ると考えて行動していました。
 経済学の父と言われるアダム・スミス(17231790)は、1776年に出版した『国富論』の17年も前に『道徳感情論』(1759年)を書いています。
 道徳感情論では、富を目指して競争するのは構わないが、その前提にはフェアプレーの精神が存在していなければならないと強調しています。フェアな競争を行うことで労働者に雇用という恩恵を提供できるというわけです。
 社会全体を最適調和に導く“見えざる神の手”とは、人間の欲求と倫理が見事なバランスをとって存在しているから生じるものであると言っているのです。市場は一定の条件があってこそうまく機能するため、強欲こそが最大の悪だというわけです。
 要するに、世界では人口が爆発的に増加し、活き活きとした社会を作り上げていくためにはどうあるべきかが問われていました。そのためには、倫理観と社会性をもって、隣人が求めるものを隣人の求める価格で供給していく有限責任的な組織が必要です。
 その組織が、隣人の求める価格よりも安く作り上げる仕組みを生み出せれば、その差は適正利潤であるということなのです。したがって、この適正利潤の獲得は貧欲の罪ではなく、社会にとっては必要な行為であると論破したのです。こうした組織が市場に提供した商品やサービスがその組織に付加価値を生み出すことそのものが隣人愛の実践になるというわけです。



(12:05)

◆有限責任が株式会社の最大の特徴
 それではなぜ、株式会社のモデルが生まれてから近代的法律制度誕生までに250年もの年月を数えなければならなかったのでしょうか。ここに法人格という人格をもった会社の原点が見え隠れしています。
 株式会社制度の最大の特徴は“有限責任”です。つまり、簡単にいえば、出資した資本の範囲までは責任を取るが、それ以外の責任はとらないということです。私たちは“個人格”という人格で、基本的に無限責任の社会に生きています。その例外として法律により時効や破産や相続放棄などの制度で免責を受けられるに過ぎません。生命体として誕生している人間個々人が無限責任の社会で生活しているにもかかわらず、法律的に作られる法人格たる会社組織が有限責任では釣り合いが取れないというわけです。不特定多数の人から資金を集めておきながら事業に失敗すれば有限責任だけで済む ―― つまり、責任を負うものがいなくなる制度を社会に認めてもよいのかということなのでしょう。
 そのうえ、シェークスピアの『ベニスの商人』のシャイロックにみるように、金融の面では古来より利子という概念を持った仕組みは共同体の民として認知できないとされてきました。「貨幣は純粋な交換手段で自己増殖はない」(アリストテレス)、「利子や取立ては社会的連帯を傷つける」(プラトン)などが当り前の社会だったのです。
 

◆絶対的な3つの基準
 ところが、全てに自己責任に問われる社会には問題が生じます。特に、イキイキと活力溢れる社会を目指すなら、新しいことをやりだす意欲を衰えさせるわけにはいきません。しかし、やりだした者が何もかも最後まで責任を問われるとしたらリスクを感じて誰もやりだす者がいなくなってしまうのではないか、という問題です。
 世界中に人口が溢れだそうという時代(イギリスでは1800年代前半に資本主義生産方式が完成に近づき、第一次産業革命が起こり、1851年には第1回万国博覧会がロンドンで行われ、世界の人口は10億人だった)において、夢のある新しいシステムが求められようとしていたのです。
 ジョン・スチュアート・ミル(18061873)が、投資した資本に見合った資産が存在していること、誰でもが自由にその内容を見ることができること、この2点をクリアしている組織なら有限責任という制度を導入してもいいのではないかと言い出しました。前者が現在でいう資本充実の原則であり、資本維持の原則に該当します。もちろん後者はディスクロージャーというわけです。
 その後、ドイツの社会学者マックス・ウェーバーが有限責任組織のあり方を明確にしました。新しいシステムは、①不道徳なものではないこと、②社会全体に有益であること、③隣人愛がベースになっていること、この3つが備わっている有限責任組織なら、それこそ新しい社会には必要なものであるという主張です。①は倫理観、②社会性、③は適正利潤に該当します。
 もう少し現代的な言葉に和文和訳すると、①は哲学・ビジョン、②はルール、公共性、③は顧客の考える付加価値と言い換えられるでしょう。
 筆者は、中小企業経営者に必ず3つの質問をしています。何のために会社を経営されているのですか、社会から認められていますか、売り物は何ですか、という3点です。お分かりのように、マックス・ウェーバーが社会に必要だと認められる会社に要求した3点を現代風の質問に変えているだけのことなのです。
 不思議なことは、この3点をしっかり理解している経営者が引率する中小企業は、どんな時代においても社会から信頼されることで地道な力をつけて継続しているということです。



(12:04)

2023年08月18日

◆会社って何?
 見ていなかったら何をやってもよい、儲かるならダマしてでも儲ける。極大利潤の追求こそ資本主義の原理、勝つか負けるか二つに一つ。全て世の中はお金次第。借金は踏み倒してもよい。自分がよければ世界が不幸でも構わない。今がよければ未来はどうでもよい、他人は他人、自分は自分。
 最近の日本の風潮を見ると、こうした人たちが溢れかえっているかのようです。マスコミの影響も大きいのでしょう。その諸悪の根源の一つに、儲けることが唯一の目的で存在している法人(株式会社)という組織が社会を悪くしているという意見もあるようです。
 でも、よく考えてみると法人格である会社は、個人格を持つ個人の集合体であり、法人は手で触ることも、耳で聞くことも、目で見ることもできない概念上の存在なのです。そこで、会社はなぜ世の中に生まれてきたのだろうかということを少し考えてみることとしましょう。


◆複式簿記の誕生

 古代から商業活動は活発に行われてきましたが、株式会社(会社法)の概念はローマ人が考え出したものと言われています。複数の職人や商人が集団を作り、明確なアイデンティティーを持って活動していた頃です。
 ローマ崩壊後に商業活動は東方が中心となり、インド・中国・イスラムの世界に移りました。中世の西ヨーロッパでは11世紀頃からギルド(商人)やツンフト(手工業者)という職業別組合を作り、飛躍的な発展をしています。
 その後はイタリアの貿易会社と北ヨーロッパの国家特許会社という2種類の中世型組織が台頭しました。この頃(1350年頃)には、イタリア人の数学者ルカ・パチョーリ(14451517)が考案した複式簿記が活発に採用されていました。


1602年 東インド会社誕生

 1602年に国が独占を保障する世界初の共同出資型株式会社組織が誕生しました。大航海時代に生まれたオランダ東インド会社(特許会社の原型)がそのモデルと言われています。
 貴族や寺院から資金を集めて、アジアやアフリカなどから香辛料などを買い付け、ヨーロッパの人たちに売り捌いていました。
 コロンブスやマゼランなどが発見してきた世界をベースとして政府と商人が共同でビジネスをするために設立されたものです。世界中の地域と独占的に貿易を行う権利(特許状)が与えられたため、特許会社の原型とも言われています。ところが、その後の経済活動の大半は、パートナーシップによって行われてきました。
 世界初の本格的な株式会社が誕生したのはヴィクトリア女王時代のイギリスです。1844年法、1856年法がその入り口になりました。オランダ東インド会社から数えて、なんと250年後のことです。



(13:39)