2022年03月30日

◆第12週(3月21(月)~3月28(日)

1972年3月21日の春分の日は、上京してきた日である。
 京都亀岡から友達に借りたジープに蒲団と書籍だけを乗せ、東名高速を一日走ってきた。今年の3月21日は丁度50年目になる。知人も友人も親類もなく、もちろん金もなし、という東京生活の始まりの日から50年が経過した。
 東京に50年も ―― というより、人生の大半を東京で暮らすなどとは思ってもいなかった。何の旗印も立てていなかったからだ。50年目の当日は、出版予定の『京都 老舗物語』の全体構想や編集校正などを行う。誰もいない会社で当時を少し懐かしみながら・・・。
 翌日からは出張が続く。火曜(22日)・水曜(23日)は雪の信州、諏訪へ。木曜(24日)、金曜(25日)は桜の開花宣言があった京都である。前半は零下、後半は18度と温度差が激しい。
 24日の午前中は東京の顧客企業を訪問し、来期の利益計画の立て方をサゼッションする。目標利益を示す場合の根拠を何から求めるのかというのが最も重要であるのだが、明確な根拠を論理的に考えて立案されているケースは極めて稀である。根拠のない利益を目標にすると、達成するための意志が弱くなるのだ。
 中央線の「あずさ号」も、東海道新幹線の「のぞみ号」もかなり乗客が増えてきた。グリーン席はいずれも50%は埋まりだしている。車中は人生の一部になっているだけに、変化の兆しがよく見える。
 信州では朝の露天に入る。諏訪湖の彼方に白い北アルプス連峰がそびえている。稜線がクッキリ見える日は空気が澄んでいると聞いたのはおそらく20年くらい前だろう。中央線の帰路に出会った薄暮の「甲州富士山」と翌日の東海道新幹線からの「駿河富士山」はまさに表裏である。
 京都では、「湯葉に」で夕食だ。『京都 老舗物語』の中に「湯葉に」を取り上げているので、吉田女将に文章などの確認を兼ねて訪問する。コロナウイルスで悩まされている飲食店の象徴でもあるので、支援を兼ねて友人を誘って出向いた次第である。
 今週の特筆は2つある。一つは、23日にウクライナのゼレンスキー大統領がオンラインで日本の国会に自国の現状を訴えたスピーチの内容だ。感謝・決意・勇気が短い文章の中にさりげなく、だが力強く述べられていた。
 もう一つは、海洋冒険家の堀江謙一さんが26日にサンフランシスコから西宮市に向かって「マーメイド号」で2ヶ月半の航海に旅立ったことである。1962年に世界初のヨットによる単独無寄港の太平洋横断を達成された時から既に60年が経過している。中1の時にこの偉業について書いた作文で表彰された記憶があるので鮮明に覚えている。83歳になって逆ルートで「太平洋独りぼっち」の単独無寄港をやるらしい。83歳でも堀江青年だ。是非、「世界最高齢記録」を達成していただきたい。


人生の 節目はいつも 桜かな 



(13:00)