2023年08月21日
◆有限責任が株式会社の最大の特徴
それではなぜ、株式会社のモデルが生まれてから近代的法律制度誕生までに250年もの年月を数えなければならなかったのでしょうか。ここに法人格という人格をもった会社の原点が見え隠れしています。
株式会社制度の最大の特徴は“有限責任”です。つまり、簡単にいえば、出資した資本の範囲までは責任を取るが、それ以外の責任はとらないということです。私たちは“個人格”という人格で、基本的に無限責任の社会に生きています。その例外として法律により時効や破産や相続放棄などの制度で免責を受けられるに過ぎません。生命体として誕生している人間個々人が無限責任の社会で生活しているにもかかわらず、法律的に作られる法人格たる会社組織が有限責任では釣り合いが取れないというわけです。不特定多数の人から資金を集めておきながら事業に失敗すれば有限責任だけで済む
―― つまり、責任を負うものがいなくなる制度を社会に認めてもよいのかということなのでしょう。
そのうえ、シェークスピアの『ベニスの商人』のシャイロックにみるように、金融の面では古来より利子という概念を持った仕組みは共同体の民として認知できないとされてきました。「貨幣は純粋な交換手段で自己増殖はない」(アリストテレス)、「利子や取立ては社会的連帯を傷つける」(プラトン)などが当り前の社会だったのです。
◆絶対的な3つの基準
ところが、全てに自己責任に問われる社会には問題が生じます。特に、イキイキと活力溢れる社会を目指すなら、新しいことをやりだす意欲を衰えさせるわけにはいきません。しかし、やりだした者が何もかも最後まで責任を問われるとしたらリスクを感じて誰もやりだす者がいなくなってしまうのではないか、という問題です。
世界中に人口が溢れだそうという時代(イギリスでは1800年代前半に資本主義生産方式が完成に近づき、第一次産業革命が起こり、1851年には第1回万国博覧会がロンドンで行われ、世界の人口は10億人だった)において、夢のある新しいシステムが求められようとしていたのです。
ジョン・スチュアート・ミル(1806~1873)が、投資した資本に見合った資産が存在していること、誰でもが自由にその内容を見ることができること、この2点をクリアしている組織なら有限責任という制度を導入してもいいのではないかと言い出しました。前者が現在でいう資本充実の原則であり、資本維持の原則に該当します。もちろん後者はディスクロージャーというわけです。
その後、ドイツの社会学者マックス・ウェーバーが有限責任組織のあり方を明確にしました。新しいシステムは、①不道徳なものではないこと、②社会全体に有益であること、③隣人愛がベースになっていること、この3つが備わっている有限責任組織なら、それこそ新しい社会には必要なものであるという主張です。①は倫理観、②社会性、③は適正利潤に該当します。
もう少し現代的な言葉に和文和訳すると、①は哲学・ビジョン、②はルール、公共性、③は顧客の考える付加価値と言い換えられるでしょう。
筆者は、中小企業経営者に必ず3つの質問をしています。何のために会社を経営されているのですか、社会から認められていますか、売り物は何ですか、という3点です。お分かりのように、マックス・ウェーバーが社会に必要だと認められる会社に要求した3点を現代風の質問に変えているだけのことなのです。
不思議なことは、この3点をしっかり理解している経営者が引率する中小企業は、どんな時代においても社会から信頼されることで地道な力をつけて継続しているということです。
2023年08月18日
◆会社って何?
見ていなかったら何をやってもよい、儲かるならダマしてでも儲ける。極大利潤の追求こそ資本主義の原理、勝つか負けるか二つに一つ。全て世の中はお金次第。借金は踏み倒してもよい。自分がよければ世界が不幸でも構わない。今がよければ未来はどうでもよい、他人は他人、自分は自分。
最近の日本の風潮を見ると、こうした人たちが溢れかえっているかのようです。マスコミの影響も大きいのでしょう。その諸悪の根源の一つに、儲けることが唯一の目的で存在している法人(株式会社)という組織が社会を悪くしているという意見もあるようです。
でも、よく考えてみると法人格である会社は、個人格を持つ個人の集合体であり、法人は手で触ることも、耳で聞くことも、目で見ることもできない概念上の存在なのです。そこで、会社はなぜ世の中に生まれてきたのだろうかということを少し考えてみることとしましょう。
◆複式簿記の誕生
古代から商業活動は活発に行われてきましたが、株式会社(会社法)の概念はローマ人が考え出したものと言われています。複数の職人や商人が集団を作り、明確なアイデンティティーを持って活動していた頃です。
ローマ崩壊後に商業活動は東方が中心となり、インド・中国・イスラムの世界に移りました。中世の西ヨーロッパでは11世紀頃からギルド(商人)やツンフト(手工業者)という職業別組合を作り、飛躍的な発展をしています。
その後はイタリアの貿易会社と北ヨーロッパの国家特許会社という2種類の中世型組織が台頭しました。この頃(1350年頃)には、イタリア人の数学者ルカ・パチョーリ(1445~1517)が考案した複式簿記が活発に採用されていました。
◆1602年 東インド会社誕生
1602年に国が独占を保障する世界初の共同出資型株式会社組織が誕生しました。大航海時代に生まれたオランダ東インド会社(特許会社の原型)がそのモデルと言われています。
貴族や寺院から資金を集めて、アジアやアフリカなどから香辛料などを買い付け、ヨーロッパの人たちに売り捌いていました。
コロンブスやマゼランなどが発見してきた世界をベースとして政府と商人が共同でビジネスをするために設立されたものです。世界中の地域と独占的に貿易を行う権利(特許状)が与えられたため、特許会社の原型とも言われています。ところが、その後の経済活動の大半は、パートナーシップによって行われてきました。
世界初の本格的な株式会社が誕生したのはヴィクトリア女王時代のイギリスです。1844年法、1856年法がその入り口になりました。オランダ東インド会社から数えて、なんと250年後のことです。
ドイツの社会学者マックス・ウェーバー(1864~1920)は、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の末尾で、「モノの意味を考えることをやめた人間の末路として、精神のない専門家、心情のない享楽人などといううぬぼれた末人たちが表れてくる」とまとめています。『社会科学の方法』で経済史学者の大塚久雄(1907~1996)を知り、マックス・ウェーバーの『資本主義の精神』の訳本(岩波文庫)を読んで、最も記憶に残っている言葉でもあります。
人と社会は利害だけでなく理念によって動き、理念によって利害は制限を受けるというのがマックス・ウェーバーの結論でもあります。特に、歴史の曲がり角では理念が決定的な作用をすることを理解しておかなければなりません。
ピーター・ドラッカー(1909~2005)は、『マネジメント』の中で会社について次のようにわかりやすくまとめています。
「組織とは個々としての人間一人一人、及び、
社会的存在としての人間一人一人に貢献を行わせ、
自己実現させるための手段」
つまり、企業活動の目的は、①自社特有の社会的使命を果たすこと、②組織における人材の自己実現を助け成長させること、の2つしかないと言っているのです。
人は組織の使命を果たすために自らの役割を与えられ、仕事を通じて成長するというわけです。単にスキルや知識を身に付けるだけでなく、人として成長し、人格を形成していきます。人の成長の機会を与えることに真剣に取り組んでいる経営者の下には、おそらく人財といってよいスタッフが集まってくるはずです。
「モノの意味を考えることをやめた人間の末路」とは、同時に、「資本主義の末路」でもあります。最近でも、中古車販売ビッグモーターのような、お客様から修理を頼まれた車をさらに壊して保険金を水増し請求するといった企業が社会に存在していたことが判明しました。経営的に言えば、「異常なノルマ主義、成果至上主義、隠ぺい体質といった企業風土が、信用を失墜させた」といったような視点から語られてしまいます。
とんでもない話で、この会社は組織体を成していません。簡単に言えば、本来なら資本主義社会では存在してはならないはずの詐欺(まがい)集団と言うべきなのでしょう。
資本主義の末期に、「精神のない専門家、心情のない享楽人などといううぬぼれた末人たち」が現実に表れているのです。